☆「不安がなければ、もっと楽になれるのに」と感じたことがない方はいますでしょうか?
☆誰もが「自分の中の不安をどうにかしたい」と思ったことがあるのではないでしょうか?
★今回は、精神科医:水島広子さんの「不安」に関する書籍を一部抜粋して、 紹介させていただきます。
◇「その不安、ニセモノではありませんか?」 / 精神科医:水島広子さん著
<はじめに> ■「不安」という感情は、私たち個人を支配することも、 社会を支配することも多いものです。 ■個人に起こること、集団に起こることの多くは、 「不安」をキーワードに説明することができます。 ■「不安だから〇〇できない」ということもあれば、 「不安のあまり××してしまう」ということもあるでしょう。 ■考えてみれば、ネガティブな感情や行動のすべてが、「不安」を元にしているとも言えます。 ■不安だから嫉妬してしまう。 不安だからつい相手に対抗してしまう。・・・というように。
☆こうした不安を消すことはできるのでしょうか? ☆我慢するしかないのでしょうか?
■単に「我慢する」のではない形で、不安から自由になって行く方法を一緒に 考えていきたいと思います。 ■実は不安の多くが、「ニセモノの不安」なのです。
<人はなぜ不安になるのか? 不安には意味がある> ■私たちが抱く感情は、ポジティブなものもネガティブなものも、 すべてに意味があります。 ■それは、身体感覚に例えるとわかりやすいでしょう。 ・「熱い!」と感じるから、熱いものから手を放して、 やけどを防ぐことができます。 ・「寒い!」と感じるから、温かい恰好をして、風邪を防ぐことができます。 ■そんなふうに身体感覚は、身体が置かれている状況を知らせることによって、 私たちを守ってくれています。
■感情も同じです。 ■ネガティブな感情は確かに不快なので、それらを避けて生きていきたいと 思っている人は多いでしょうが、これまた自分を守るために備わった機能なのです。
■そして、本書のテーマである「不安」も、まさに役に立つ感情なのです。 ■不安は、「安全が確保されていない」ことを知らせてくれる感情です。 ■もしも不安という感情がわかなかったら、私たちはもっと多くの危険に 巻き込まれていることでしょう。
☆ですから、本書でも、「不安を感じなくなる」ことは目指しません。 ☆本来、「不安によって守られるべき安全」が脅かされてしまうからです。 ☆目指すところは、「不安にとらわれて苦しくならないようにすること」です。
<「本物の不安」と「ニセモノの不安」> ■不安には、「本物の不安」と「ニセモノの不安」があります。 ■そして、不安の多くは、「ニセモノの不安」なのです。
■「ニセモノ」を見抜く力を身につければ、不安からぐっと自由になることが できるのです。
■「本物の不安」とは、「感じるしかない不安」と言い換えることができます。 ■「はじめてだから緊張しちゃって・・・」「この前失敗したばかりでまだ 立ち直っていないから・・・」などです。
■「感じるしかない不安」は、実はそれほど心配することはありません。 ■「こういう場では不安になって当たり前」と思うことで、 「未知から来る不安」を減らすことができるのです。 ■「本物の不安」は膨張していかない不安と言えるのです。
■では、「ニセモノの不安」とは何でしょうか? ■「ニセモノの不安」は、冷静に考えれば、 「危険がほとんどない」もしくは「今のところ危険かどうか わからない」にも関わらず湧いてきてしまう不安のことを言います。
■確かめようのない未来に対して、根拠のないことを想像し、 思い悩んでしまうのが「ニセモノの不安」です。 ■「人からどう思われるだろうか?」「食べていけるだろうか?」 「うまくいくだろうか?」・・・などなど
■そう考えると、不安の多くが「ニセモノの不安」と言えるでしょう。 ■ただし「ニセモノの不安」には特徴があります。 ■それは「ニセモノの不安」は解決しにくいという特徴です。 ■そして、「ニセモノの不安」はどんどん「大げさ」になっていくのです。
■「本物の不安」のもとになっているのは「事実」ですが、 「ニセモノの不安」のもとになっているのは事実ではなく、 強迫観念、つまり、頭にふと浮かぶ想念なのです。 ■「もしかしたら・・・」「きっとまた・・・」「どうせ・・・」
■「ニセモノの不安」を手放すことができれば、 ほとんどの不安は解決できると言ってもよいでしょう。
<「不安」と「結果」> ■私たちの多くが「結果」を気にして生きています。 ■そのとき、 「もしも・・・になったらどうしよう」「うまく・・・できるだろうか」 という(「怖れ」が作り出す)強迫観念を生み出していきます。 ■しかしどれほど誠実に生きても、結果はコントロールできないのです。
<「不安」と「怖れ」> ■「怖れ」という「心の姿勢」と、不安という「単なる感情」とは、似て非なるものです。 ■不安は、他の感情と同様、人間に必要なものですが、 その後も続く「不安感」は、「怖れ」が次々と生み出してくる強迫観念に よるものです。 ■安全が確保されていても湧き続ける「強迫観念」は、「ニセモノの不安」です。 ■「怖れ」によって、頭の中にいろいろと浮かぶ「強迫観念」が、 不安をどんどん量産していく・・・ ■このように、「怖れ」から生み出されてくるものが、「ニセモノの不安」なのです。 ■「ニセモノの不安」の供給源はつねに「怖れ」です。 ■それは単なる「脳内劇場」に過ぎないのです。
<「心」には姿勢がある> ■不安をコントロールするためには、まず注目したいのが自分の「心の姿勢」です。 ■「心の姿勢」は大きくふたつに分けられます。 ■現実を「怖れの目」で見る姿勢と、「温かいこころ」で見る姿勢です。
■私たちは本来、温かい存在です。人を助けたいと思うぽかぽかした気持ちです。 ■「怖れ」とは、「ぽかぽかしとした温かいこころ」以外のすべてを意味します。 ■「完璧主義」や「べき」思考、「罪悪感」などもすべて「怖れ」のグループに入ります。
<「ニセモノ不安」への特効薬> ■とらえどころのない「ニセモノの不安」ですが、その対策には特効薬があります。 ■それは、「心の姿勢」に注目することです。
■ゆっくりと時間をかけて、「温かいこころ」を選ぶ習慣をつけるのです。 ■自分の「心の姿勢」は自分で選べるのです。
■その時必要なのは、「ちょっとした勇気」だけです。 ■「ちょっとした勇気」さえあれば、「ニセモノの不安」から自由になれるのです。
<私は足りないという幻想> ■「怖れ」から出てくるすべてのメッセージは、 「私は足りない」「私はどこかかけた人間だ」ということを伝えてきます。 ■だから「心の姿勢」が「怖れ」にあるとき、人はリラックスしたり、 自分を大切にしたりできなくなるのです。 ■そして、人に優しくできなくなるのです。
■「私は足りない」という「怖れ」は、「幻想」です。 ■「足りない」と「思い込んでいる」だけなのです。 ■「私は欠けている」と錯覚する「ニセモノの不安」は、「怖れ」のしわざです。 ■「怖れ」こそが、実は「ニセモノ」なのです。
☆ただし、「怖れを手放そう」と思わないでください。 ☆自分の「怖れ」に「気づく」だけでいいのです!
<「ちょっとした勇気」を持つとは?> ■じゃあどうすれば、『温かいこころ』を選べるのでしょうか? ■そのカギとなるのは「ちょっとした勇気」です。
■でも高いところから飛び降りる蛮勇とは違います。 ■ちょっとした勇気とは、それは、 「自分の心の姿勢に責任を持つ」ということです。
■「怖れ」グループの感情が心に生じたとき、そのまま流されていくのではなく、 「私はぽかぽかとしたやすらぎを選びたい」と決める「意志」のことです。
■自分についても他人についても、何かしらネガティブな状態になったときは 「怖れて、助けを求めているのだ」という視点をもつことです。 ■「怒っている相手」」は「困っているんだ」という見方に転換できたとき、 私たちの「心の姿勢」は整います。
■「相手が悪い」ではなく、「私は困っている」と見るのです。 ■しかし「怖れを手放すべき」とは考えないでください。 ■「べき」思考では「温かいこころ」にはなれません!
<「怖れ」ているとき、人は力を発揮できない> ■「怖れ」は現在と決して一体化しません。 ■「怖れ」は、過去や未来に住んでいるのです。
■「怖れ」の姿勢から、「うまくいくだろうか?」「間に合うだろうか?」 「ちゃんと評価が得られるだろうか?」などと不安に思っているときには、 それだけ過去や未来に気が散ってしまっているということです。 ■決して心は現在にないのです。目の前の仕事に集中できていないのです。
<「勇気を出すこと」は、「自分を粗末にすること」ではない> ■「勇気」と「蛮勇」は違います。 ■その違いは、量的な違いではなく、 「自分をどれだけ大切にしているのか」という「質的な違い」なのです。
■ここはとても大切なポイントです。 ■「どれだけ自分をリスクにさらしたか」ではなく、 「どれだけ自分を大切にできたか」が勇気の有無を分けるのです。 ■「勇気を出す」ということは、「自分を大切にする」ということなのです。
<自分に目を向けるのをやめる> ~他人の目から自由になる勇気~ ■不安の中でも圧倒的に多いのが、対人関係に関連するものでしょう。 ■つい、「他人は自分をどう思っているか」を気にしてしまいがちです。
■しかし、なぜこんなにも「他人の目」を気にしてしまうのでしょうか? ■「自分のどこが足りないのだろう」と、 自分の中の「悪いところ探し」を始めてしまうのです。 ■そして「あれも足りない、これも足りない」となってしまい、 自信をすっかり失ってしまうのです。 ■まさに「怖れ」の姿勢を身につけてしまうのです。
■ではどうしたらいいのでしょうか? ■「自分」に目を向けないためのコツは、「与えること」です。 ■相手に目を向け、見返りを求めずに、 「自分が相手にできることは何か?」に目を向けてみるのです。 ■「相手にとっての最善は何か?」を考えるのです。
<「自己効力感」を持てれば、不安は消える> ■なぜ、ネガティブなことばかり考えてしまうのか? ■どうすればよいのか? ■その方法は、 特に悪い結果を想定せず(意識を未来に向けず)、 できるだけ目の前のことに(今に集中して)取り組むのです。
<自己効力感が心の闇に光を当てる> ■どうしたら闇の世界から抜けられるのでしょうか」? ■それは、日常の何気ない行動から自分を変えていくのです。 ・たとえば電車でお年寄りに席を譲る。 ・混雑する駅で途方に暮れている視覚障碍者の方を導く。 ・道路に落ちているゴミを拾ってゴミ箱に捨てる。 ・物を落とした人に「落としましたよ」と声をかける。 ■「私はこんなこともできるんだ」と、自分について「よい感じ」を持つことができます。 ■それが自己効力感です。 ■自己効力感をもてるような体験をすると、 それまで不安でいっぱいだった心が何やら温かく、すがすがしくなると思います。 ■不安についてあれこれ考えなくなり、簡単にモヤモヤが消えてしまいます。
■自己効力感をもつ秘訣は、「与えること」です。
■自己効力感、そして、「自分はありのままでいい」と認識する自己肯定感。 ■幸せに生きていくために、私は 「自分について良い感じをもつ」ことをとても大切にしています。 ■そのためには、自分なりの美意識をもつことが必要です。
■「自分はできる」という感覚が、不安を消していくのです。 ■「べき」や「常識」に基づいて行動するのではなく、 自分の「心の姿勢」を整え、本来の「ぽかぽかした温かいこころ」を取り戻し 美意識に従って行動したとき、 自分を悩ませていた「ニセモノの不安」は劇的に減っていくでしょう。
※以上、水島広子さんの「その不安、ニセモノではありませんか?」 を抜粋して紹介させていただきました。
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