☆今回は、フランツ・カフカさん著(頭木弘樹さん編訳)の
「絶望名人カフカの人生論」という書籍の一部を紹介させていただきます。
★ポジティブな名言はたしかに価値のあるものです。 しかし、心がつらいときにいきなり読んでも、本当には心に届きません。 ★まずは、ネガティブな気持ちにひたりきることこそ、大切なのです。 (はじめにより抽出)
⇒それでは【ネガティブ・ワールド】へ!
【はじめにより】 ◆著者フランツ・カフカさんはオーストリアのプラハで ユダヤ人の商家に生まれた小説家です。 (今では偉大な作家と言われておりますが、生前は・・・)
<カフカさんとは> ◆彼(カフカさん)は何事も成功しませんでした。 失敗から何も学ばず、つねに失敗し続けます。
◆彼は生きている間、作家としては認められず、 普通のサラリーマンでした。 ◆そしてそのサラリーマンとしての仕事がイヤで仕方ありませんでした。 でも生活のために辞められませんでした。
◆結婚したいと強く願いながら、生涯独身でした。 ◆身体が虚弱で、胃が弱く、不眠症でした。 ◆家族と仲が悪く、とくに父親のせいで自分が歪んでしまったと感じていました。
◆彼の書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、未完です。 ◆死ぬまで、ついに満足できる作品を書くことができず、 すべて焼却するようにという遺言を残しました。
◆そして、彼の日記やノートは、日常の愚痴で満ちています。 ◆それも、「世界が・・・」「国が・・・」「政治が・・・」というような大きな話ではありません。 ◆日常生活の愚痴ばかりです。 「父が・・・」「仕事が・・・」「胃が・・・」「睡眠が・・・」
◆彼の関心は、ほとんど家の外に出ることがありません。 ◆彼が関心があるのは自分のことだけなのです。 自分の気分、体調、人から言われたこと、人に言ったこと、やったこと、されたこと・・・ ◆そして、その発言はすべて、おそろしくネガティブです。
<あまりにも絶望的で、かえって笑えてくる> ◆「そんな愚痴、読む価値があるのか?」と思われる人が多いでしょう。 ◆いくら、まずネガティブな気分に浸るのがいいと言っても、 他人の日常生活の個人的な愚痴なんて、わざわざ読みたい人がいるわけがありません。 気分がさらに暗くなってしまいそうです。
◆しかし、カフカは偉人です。 ◆普通の人たちより上という意味での偉人ではなく、 普通の人たちよりずっと下という意味での偉人なのです。
◆その言葉のネガティブさは、人並外れています。 ◆たとえば、 将来にむかってあるくことは、ぼくにはできません。 将来にむかってつまずくこと、これはできます。 いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。 (婚約者フェリーツェへのラブレター)
◆あまりにもネガティブで、かえって笑えてこないでしょうか。
◆カフカほど絶望できる人は、まずいないのではないかと思います。 ◆カフカは絶望の名人なのです。
◆誰よりも落ち込み、誰よりも弱音を吐き、誰よりも前に進もうとしました。 ◆しかし、だからこそ、私たちは彼の言葉に素直に耳を傾けることができます。
◆成功者が上からものを言っているのではないのです。
◆日常生活の愚痴ばかり言っている人間が、なぜ偉大な作家になることができたのか? ⇒それは彼が絶望名人であったからに他なりません。 以下はカフカ自身の言葉です。
僕は自分の弱さによって、 ぼくの時代のネガティブな面をもくもくと掘り起こしてきた。 現代は、ぼくに非常に近い。 だから、ぼくは時代を代表する権利を持っている。 ポジティブなものは、ほんのわずかでさえ身につけなかった。 ネガティブなものも、ポジティブと紙一重の、底の浅いものは身につけなかった。 どんな宗教によっても救われることはなかった。 ぼくは終末である。それとも始まりであろうか。 (八つ折り判ノート)
◆カフカの絶望の言葉には、不思議な魅力と力があります。 ◆読んでいて、つられて落ち込むというよりは、かえって力が湧いてくるのです。
それでは【カフカさんの言葉】を紹介していきます。
<ひとりでいれば何事も起こらない> 僕はひとりで部屋にいなければならない。 床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように、 ひとりでいれば何事も起こらない。 (婚約者フェリーツェへの手紙、のちにカフカから婚約を破棄)
<地下室のいちばん奥の部屋で暮らしたい> ぼくはしばしば考えました。 閉ざされた地下室のいちばん奥の部屋にいることが、 ぼくにとって一番いい生活だろうと。 誰かが食事を持ってきて、 ぼくの部屋から離れた、 地下室の一番外のドアの内側に置いてくれるのです。 部屋着で地下室の丸天井の下を通って食事をとりに行く道が、 ぼくの唯一の散歩なのです。 それからぼくは自分の部屋に帰って、ゆっくり慎重に食事をとるのです。 (フェリーツェへの手紙)
<孤独さが足りない、さびしさが足りない> ずいぶん遠くまで歩きました。 五時間ほど、ひとりで。 それでも孤独さが足りない。 まったく人通りのない谷間なのですが、 それでもさびしさが足りない。 (フェリーツェへの手紙)
<ぼくの知っている最も痩せた男> ぼくは、ぼくの知っている最も痩せた男です。 体力はないし、夜寝る前にいつもの軽い体操をすると、 たいてい軽く心臓が痛み、腹の筋肉がぴくぴくします。 (フェリーツェへの手紙)
<心配がふくれあがって本当の病気に> ぼくはただ自分のことばかり心配していました。 ありとあらゆることを心配していました。 たとえば健康について。 ふとしたことから消化不良、脱毛、背骨の歪みなどが気にかかります。 その心配がだんだんふくれあがっていって、 最後には本当の病気にかかってしまうのです。 (父への手紙)
<気苦労が多すぎて、背中が曲がった> ぼくはいかなる事にも確信がもてず、 自分の肉体と言う最も身近なものにさえ確信がもてませんでした。 気苦労が多すぎて、背中が曲がりました。 運動どころか、身動きをするのも億劫で、いつも虚弱でした。 胃の健全な消化作用も失ってしまい、 そこで憂鬱症への道がひらけました。 そしてついには、喀血までやりました。 (父への手紙)
<散歩をしただけで、疲れて三日間何もできない> ちょっとした散歩をしただけで、 ほとんど三日間というもの、 疲れのために何もできませんでした。 (恋人・人妻ミレナへの手紙)
<強さはなく、弱さはある> ぼくは人生に必要な能力を、 なにひとつ備えておらず、 ただ人間的な弱みしか持っていない。 (八つ折り判ノート)
<死なないために生きるむなしさ> ぼくの人生は、 自殺したいという願望を払いのけることだけに、 費やされてしまった。
<「おまえのやることは必ず失敗する」と脅かす親> ぼくが何かあなたの気に入らないことを始めると、 お父さん、あなたはいつも、 「そんなものは必ず失敗する」と脅かしました。 そう言われてしまうと、 ぼくはあなたの意見をとても敬い、怖れてもいたので、 失敗がもはや避けられないものになってしまうのでした。 ぼくは、自分がやることへの自信を失いました。 根気をなくし、疑心暗鬼になりました。 ぼくが成長するにつれて、あなたがぼくのダメさを証明するために 突きつけてくる材料も増えていきました。 そうやってだんだんと、 あなたの意見の正しさが、実証されていくことになったのです。 (父への手紙)
<学校では劣等生と決めつけられた> ぼくは同級生の間では馬鹿でとおっていた。 何人かの教師からは劣等生と決めつけられ、 両親とぼくは何度も面と向かって、その判定を下された。 極端な判定を下すことで、人を支配したような気になる連中なのだ。 馬鹿だという評判は、みんなからそう信じられ、 証拠までとりそろえられていた。 これには腹が立ち、泣きもした。 自信を失い、将来にも絶望した。 そのときのぼくは、舞台の上で立ちすくんでしまった俳優のようだった。
<会社の廊下で、毎朝絶望に襲われる> もう五年間、オフィス生活に耐えてきました。 最初の年は、民間の保険会社で、特別にひどいものでした。 朝八時から、夜七時、七時半、八時、八時半・・・まったく! ぼくの事務室に通じる細い廊下で、 ぼくは毎朝、絶望に襲われました。 ぼくより強い、徹底した人間なら、喜んで自殺していたでしょう。 今は、はるかによくなって、みんなぼくにやさしくしてくれます。 しかしそれでも充分にひどい状態で、 我慢するために使わなければならない力を考えると、とても割に合いません。 (フェリーツェへの手紙)
<なぜ好きな仕事(小説家)で身を立てようとしないのか?> あなたはお聞きになるかもしれません。 なぜぼくがこの勤めを辞めないのかと。 なぜ文学の仕事で身を立てようとしないのかと。 それに対して、ぼくは次のような情けない返事しかできないのです。 ぼくにはそういう能力がありません。 おそらく、ぼくはこの勤めでダメになっていくでしょう。 それも急速にダメになっていくでしょう。 (フェリーツェの父への手紙)
<「普通」にあこがれる> 結婚し、 家庭を築き、 生まれてくる子供たちを育て、守り、少しだけ導いてあげること。 これこそひとりの人間にとって、この上ない成功です。 ぼくはそう確信しています。 多くの人々がごく簡単にそれをやってのけているからといって、 そうでないという証拠にはなりません。 (父への手紙)
<結婚しなかった理由> では、なぜぼくは結婚しなかったのでしょうか? 結婚を決意した瞬間から、もはや眠れなくなり、昼も夜も頭がカッカし、 生きているというより、絶望して、ただうろついているだけ、 という状態に陥りました。 原因は、不安、虚弱、自己軽蔑などによるストレスです。 つまり、ぼくはあきらかに精神的結婚不能者なのです。 (父への手紙)
<人といると、自分の存在が消えていく> またいろんな人たちとムダな晩を過ごしました。 ぼくは彼らの話をきくために努力しました。 しかし、いくら努力しても、ぼくはそこにいませんでした。 他のところにもいませんでした。 ひょっとするとぼくはこの二時間、生きていなかったのでしょうか。 そうにちがいありません。 なぜなら、もしぼくがあそこの椅子にすわって眠っていたのなら、 ぼくの存在はもっとたしかだったでしょうから。 (フェリーツェへの手紙)
【あとがきより】 <弱さという巨大な力> ◆カフカは誰よりも弱い人でした。 強ければ気づかないことに、弱ければ気づけます。 足が弱ければ、ちょっとした段差にも気づけます。 手が弱ければ、ちょっとした持ちにくさにも気づけます。
<ネガティブ・パワー> ◆苦しみは、カフカの力の源ともなっていました。 ◆今は「ポジティブになろう!」というメッセージが世の中に氾濫しています。 ◆歌も小説も映画も。 有名人も、よくそういう発言をします。 ◆ポジティブ信仰に圧倒されている人も少なくないでしょう。
◆しかし、人を前に進めるのは、ポジティブな力だけとは限りません。 ◆ネガティブさからもまた力を引き出せることを、カフカは教えてくれます。
<人生にはカフカの言葉が必要なときが・・・> ◆生きることが苦しくて仕方ないとき、 ◆気持ちが落ち込んで仕方ないとき、 ◆ポジティブになんてとてもなれないとき、 ◆死にたいと思ったとき、 ⇒ぜひこの本を開いてみていただければと思います。
⇒カフカのネガティブな言葉たちは、 以外にもあなたに力を与えてくれるはずです。
※以上、今回はフランツ・カフカさん著(頭木弘樹さん編訳)の 「絶望名人カフカの人生論」の一部を紹介させていただいました。 |