★今回は、「普通がいい」という病(泉谷閑示さん著)という書籍の
前半部分を一部紹介させていただきます。
◇精神科医である著者は本書で、 今まで疑うことなく信じていたさまざまな常識や知識を、一度ていねいに洗い直し、 「自分で感じ、自分で考える」という基本に支えられた生き方を回復することが必要である、 とのテーマに基づき、さまざまな「常識」を問い直すことを提案されておられます。 ◇わたしたちが「当たり前」と思っていることについて、 非常に考えさせられる内容になっていると感じております。 ◇「普通」という言葉に違和感を覚える方にも、特に何も感じない方にも、 どちらの方にとっても、必ず「ひっかかる」内容なのではないかと思います。
(前半部分の一部を抜粋して記載させていただきます。) ■「病気」と「健康」、「異常」と「正常」、 それらは一体どこで線が引けるものなのでしょうか。 ■そもそも、はたして線を引くべきものなのでしょうか? ■ここから私たちの問いを始めていくことにします。
(「異常」と「正常」について) ■「病気」と「健康」は別世界のものではなく、連続して繋がっているものであり、 「病気」と「健康」の境目は、実はあるようでないのです。 ■病気/健康、異常/正常の境目は、「多数派」が決めているだけのものであり、 またその線引きはあくまで相対的なものなのです。
■注意すべきことは、病気/健康、異常/正常という「レッテル貼り」を 本人が自分自身に対して安易に行わないようにしなければならない、 ということです。 ■なぜなら、それは自分で自分を規定して自分自身を閉じ込めてしまうことになるからです。
■また「ネガティブ/ポジティブ」という「二元論の言葉」は、 「言葉の手垢」(固定観念)にまみれていますので、 その「手垢」をどれだけ落としてみたことがあるか、 それがとても大切なことととなります。
(治るということ) ■「悩みがなくなること」が、「治る」ということではありません。 ■「あるべき悩みを悩むようになる」⇒これが「治る」ということです。 ■「安心して悩める」という状態が、人間の健康な状態なのです。
(天からのギフト) ■病気や苦しみとは、天からのギフトのようなものだと考えています。 ■その中にはとても大切なメッセージが入っています。 でも、それは《不幸印》のラッピングペーパーに包まれているのです。 ■だから、たいがいは嫌がって受け取りを拒否してしまいます。
■しかしそれを受け取らない限り何度でも再配達されてしまうのです。 ■思い切って受け取って、その忌々しい包みをほどいてみると、 実はそこには、自分が自分らしく生きていくための大切なメッセージが 見つかるというのに。
■施術者が表面的な解消法のみを提供してしまうと、 本人がそれを受け取り損ねることになってしまうのです。
(「普通」について) ■「どう変わりたいですか?」と質問すると、 「普通になりたいです。」と答える人がたくさんいらっしゃいます。 ■「普通」に生きることが幸せに違いない。「普通」になれば幸せになれると。
■たくさんの人が、「普通」におびえ、「普通」に憧れ、「普通」を演じています。
■でもその背後には、「普通」は「多数派」に密接に結びついているに違いない、 という考えがあり、「標準的な」「社会適応している」という「価値観」が存在しています。
■「普通」という言葉にまとわりついている、 「普通はいいことだ」「普通は幸せなことだ」という手垢まみれの世俗的な価値観 について見つめなおさなければならなのです。
■また、言葉を不用意に扱うのは、実はとても恐ろしいことでもあるのです。 ■物事の真の姿を見るためには、「言葉という道具」一つ一つについて、 付着している手垢を一度洗いなおしてみることが、欠かせない作業になってくるのです。
<今回はここまでとさせていただきます。> |