★【日本でいちばん大切にしたい会社】(坂本光司さん著)の中から、
「働く意味」について記載されている「日本理化学工業株式会社」の
紹介部分の一部を、抜粋する形で紹介させていただきます。
・「日本理化学工業株式会社」という会社は、
主にダストレスチョーク(粉の飛ばないチョーク)を製造している
昭和12年設立の従業員約五十名の会社です。
・現在(本書執筆時点)、
およそ七割が知的障害をもった方々で占められているとのことです。
・しかし、初めから障害者の方を積極的に受け入れる会社だったわけではなく、
もともとは他の会社と同様の「普通」の会社だったそうです。
(以下、一部分を抜粋して紹介させえいただきます。)
■そもそもの始まりは、近くにある養護学校の先生の訪問でした。
■昭和三十四年のある日、
一人の女性(養護学校の先生)が日本理化学工業を訪ねてきました。
■「難しいことはわかっておりますが、今度卒業予定のこどもを、
ぜひあなたの会社で採用していただけないでしょうか。」
■障害を持つ二人の少女を、採用してほしいという依頼でした。
■社長である大山泰弘さん(当時専務)は悩みに悩んだ結果、
「お気持ちはわかりますが、うちでは無理です。申し訳ございません・・・」
■しかしその先生はあきらめず、またやってきます。また断ります。
またやってきます。それでも断ります。
■三回目の訪問のとき、ついにあきらめたそうです。
■しかしそのとき、
「せめてお願いを一つだけ」ということでこんな申出がありました。
■「もう採用してくれとはお願いしません。
でも就職が無理なら、
せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか?
そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で
死ぬまで暮らすことになってしまいます。
私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです。」
■お願いしている先生の姿に大山さんの心は折れ、
「一週間だけ」ということで就業体験をさせてあげることになったのです。
■その二人は雨の日も風の日も、休むことも遅刻することもなく、
毎日朝早くから終業時間を過ぎるまで働き続けたそうです。
■そうして一週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている前日のことです。
■十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。
■「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。
どうか、来年の四月からあの子たちを正規の社員として採用してあげてください。
もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。
だからどうか採用してあげてください。」
■社員みんなの心に応えて、大山さんは二人を正社員として採用することにしました。
■それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていきましたが、
大山さんには、一つだけわからないことがありました。
■どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが
幸せなのではないかと思えたのです。
■そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんに
その疑問を尋ねてみました。
するとお坊さんは、
■「そんなことは当たり前でしょう。
人間の幸せは、モノやお金ではありません。
人間の幸せは次の四つなのです。
- ①人に愛されること
- ②人にほめられること
- ③人の役に立つこと
- ④人に必要とされることです。
■そのうちの
『②人に褒められること』
『③人の役にたつこと』
『④人に必要とされること』
は、施設では得られないのです。
■「この三つの幸福は、『働くこと』によって得られるのです。」
■「障害を持つ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証なのです。」
■「施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、
テレビだけ見るのが幸せではないんです。
真の幸せとは、働くことなんです。」
■「普通」に働いてきた大山さんにとって、
それは目からウロコが落ちるような考え方でした。
■大山さんは、
「人間にとって“生きる”とは、必要とされて働き、
それによって自分で稼いで自立することなんだ」
ということに気づいたそうです。
■「それなら、そういう場を提供することこそ、
社会に対してできることなのではないか。
それが企業の存在価値であり、社会的使命なのではないか」
■それをきっかけに、以来五十年間、
日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けることになったそうです。
■その後も苦労の連続だったそうですが、
社員みんなで「作業のやり方を、人に合わせる」
ということを繰り返していったとのことです。
■そうやって、初めは「普通」の会社だった日本理化学工業が、
現在のような「社員とその家族を幸せにする会社」に変わっていったのです。
※以上リメイクですが、改めて、
「日本で一番大切にしたい会社」の中の一部分を
抜粋して紹介させていただきました。 |